1972年、アメリカ合衆国の警察財団は大規模な犯罪防止のための社会実験を行った。内容はカンザスシティ(カンザス州)、ニューアーク(ニュージャーシー州)などで、警察官の徒歩パトロールを強化するというものだった。このニューアークでの実験に対する考察が、「割れ窓理論」の基調となった。
この成果を調査したケリング博士らは、警察官の徒歩パトロールには「犯罪の発生率を下げる効果」はないが、地域住民に安心感を与え、警察活動への親近感を増す効果があることに気がついた。
「割れ窓理論(Broken Windows Theory)」でケリング博士らは次のように主張している。すなわち、建物やビルの窓ガラスを割られたまま放置しておくと、その建物は管理されていないと認識されるようになり、さらに窓ガラスが割られたり、ゴミが投棄されたりといった現象が起きてくる。やがては建物やビル全体が荒廃し、さらには住民のモラルの低下、凶悪犯罪の発生といった地域全体の荒廃にもつながっていくというのである。
実際に40〜50年前のサンフランシスコでは、空家になった住宅にヒッピーが住みつき、美しい街が荒廃の危機に直面した時期があった。
つまり「割れ窓理論」は、たった1枚の割れ窓の放置から悪循環が始まり、徐々に街は荒れ、無秩序状態となって犯罪が多発し、地域共同体を作っていた住民は街から逃げ出し、最終的には街が崩壊する可能性すらあるとまで主張しているのだ。
では、たった1枚の割れたガラス窓に対処することで、犯罪傾向そのものは大きく変わらないのに、安全に対する住民意識が変わるのだろうか。ケリング博士は「変わる」と主張している。
しかしそのためには、たとえ窓ガラスを割ったり、ビルの壁に落書きをするといった軽微な犯罪でもそれらを見逃さない警察や監視者の存在が必要だという。警察や監視者が殺人や強盗などの重大犯罪だけでなく、いわゆる軽犯罪法違反の事犯もどんどん取り締まるという姿勢を見せることにより、住民の安心感は高まる。したがって住民たち自身が「割れ窓」に対処することで、住民たちは地域における安心感を自ら作り出すという効果も期待できるのだ。
このケリング博士の理論は、1982年、アメリカの政治学者ジェームズ・ウイルソン博士(米UCLAで公共政策講座を開講)と共同で「アトランティック・マンスリー」誌に掲載された。
これを実践的に採用したのが、ニューヨーク市のルドルフ・ジュリアーニ市長だった。1980年代のニューヨークはアメリカでも有数の犯罪多発都市として有名であり、治安問題に悩まされていた。
ジュリアーニ市長は市長に就任した1994年1月、ケリング博士を顧問に任命し、「割れ窓理論」を応用した治安対策を実行した。「不寛容(ゼロ・トレランス)」政策と呼ばれ、警察官5000人を動員し、徹底した徒歩パトロールと落書きや未成年者の飲酒といった、これまでは見過ごされてきた軽微な犯罪の取り締まりを行った。また同時にニューヨーク迷惑防止条例の積極的な運用も図った。
その結果、ジュリアーニ市長就任から5年でニューヨークの犯罪認知件数は激減し、離れていた住民や観光客も戻ってきた。落書きで有名だったニューヨークの地下鉄は、現在では落書きのないきれいな車体でニューヨーク市民の安全な乗り物になっているという。